141文字目。

2階6列22番

ジャニヲタが髑髏城の抜け穴に落ちたら入り込んで出られなくなった話

 

地獄は楽しいとこだった。

初めてポエムモードじゃない文章をここで書くことになるのだがまさかその内容が劇団新感線の舞台の話になろうとは3ヶ月前のわたしに言っても絶対に信じない。

 

気付けばすっかりローチケの発券がうまくなった。息を吸うように戻りをリロードして指が勝手に予約した。おそらく人生でこんなにローソンに通うことはもうないしsafariの右上の視力検査みたいなマークを130回押すことももうない。

何から話そうか。とにかくこんなことになるはずではなかった。たぶん、ダブルチームじゃなかったらこんなに嵌らなかったし、たぶん、福士蒼汰じゃなかったらこんなに通わなかった。たぶん、ライブビューイングがなければ下弦の現場に足を運ぶこともなかったし、下弦の役者のことも知らないまま人生を終えていた。俳優界2番目の推しである三浦翔平が舞台をやるというので食いついただけ、髑髏城ってよく聞くし1回野次馬したかっただけ。松竹座に行かなくてよくなった寂しさを現場で埋められればなんでもよかった。

なんでだ。なんでこうなった。

いまこれを書きながら「嵌まる」のことばの意味をしらべたら『穴のような部分に落ちて入り込むこと』とあった。まさにそんな2ヶ月間。

 

 

物心ついた頃から息を吸った年数と同じだけジャニヲタだった。その間アミュヲタ通ったり若俳と接触したりバンド追っかけたりエイベ沼つっこんだりりっちゃんのおたくになったり色々してきたけどまだこんなに楽しい世界があって知らない感覚に出会えることがあるんだと毎日新鮮で毎日ワクワクしてた。公演期間3ヶ月のうちわたしが通ったのは2ヶ月間。もっというとギア全開にしたのはラスト1ヶ月。ジャニヲタは追いかける足がめちゃくちゃ速い。

髑髏城の七人season月。上弦の月下弦の月。たのしかった。ほんとうにたのしかった。理由はおそらく4つ。

 

 

1、「楽しい」の拡散

火金日、月水土、同じ役は同じ楽屋使う制度のダブルチーム。何かあれば楽屋に手紙置いといてくださいって連絡する天魔王、冷蔵庫にプリン入れといたから食べてくださいねって置き手紙する兵庫、ずっと置いてあったあちらの私物に生活感感じてそれがなくなると寂しがる蘭兵衛、先に千秋楽終えた方が明日千秋楽終える方にお疲れ様って楽屋にスタバカード置いておく荒武者隊、挙げ句の果てに上下合同で正月から劇場裏でBBQしたりロビーで餅つきしたりする。それを全部SNSで教えてくれる若手俳優の皆々様。楽屋沼がすごいし本人SNSの威力もすごい。この共同楽屋ネタ絶対ジャニヲタが好きなやつ。上下それぞれ芝居はあんなに歩み寄ろうとしないのにw、楽屋に夢つまりすぎててダブルチーム制はずるい。

もちろん楽屋以外にも原則みんな毎日ブログやインスタ・ツイッターをリアルタイムで更新してくれるので(私はサビ残と呼んでいる)、今日の出来事を今日知れる、今日の写真を今日見せてくれる。インスタのコメ欄を見て「この人はこの人に懐いてきたな~w」とか察せる。私たちが千秋楽さみしいなって思ってる同時刻に本人たちもさみしいな終わりたくないなって更新してくれる。この、なかのひとたちからの「楽しい」の発信がこちらの「楽しい」をかなり加速させたと思う。

 

さらに終演後には、解釈班のおたくたちが毎日毎日あーでもないこーでもないと思考を巡らせ作品を膨らましていく。感想戦。役者の芝居が変われば解釈も変わる。セリフの言い方ひとつ変えただけで昨日までのキャラと今日のキャラが真逆だったりする。脚本はひとつなのにどんどん話が変化して肉付けされていく。しかも上下あるからそれが×2で客の脳みそを殴りつけていく。上弦見たら下弦見たくなって下弦見るとまた上弦に戻りたくなる。あれも確認したいこれも比較したい。あまいしょっぱいあまいしょっぱい。延々その繰り返し。地獄だ。たのしい。知らない世界だ。こんなに感想戦がたのしかった現場はない。家に帰ってから育つ舞台だ。地獄は楽しい。

これがわたしにとってはかなり強烈に衝撃的で、こんだけ毎日アレヤコレヤ他人の脳内が滝のように流れてきたらそりゃもう一回見たくなるし考えたくなるしもう一回見たらまた感想戦が繰り広げられるからまた膨らんでまたもう一回見なくてはと思わされてしまう割と地獄の感染症。しかも金と時間と運さえあれば結構な確率で公式(ローチケ)からチケットが買えてしまう。チ◯流みたいなの使う罪悪感もない。地獄オブ地獄。

 

それからライブビューイングを挟んだのも、ステアラまでは来られない全国の野次馬たちが一斉に同時に見たことでお祭りになった。特に上弦はジャニヲタ鑑賞率が非常に高かったから終演後のTLがマジで髑髏城一色になっててちょっと笑った。ジャニヲタまじどこにでもいる。

映画館の敷居の低さがもたらしたのは「髑髏城面白かった」の拡散だ。あのお祭りに乗れたことで話せる人口がぐんと増えたしシンプルに盛り上がってたし、大きなものを巻き込んだ祭りごとは純粋に楽しい。

このあたりがジャニヲタしてるだけではできないことだったかな。

 

 

2、空白

ドクロジョーの何がこんなに新鮮だったのか考えたら「空白」だった。想像するすきまがある空白。だから感想戦みたいな空白を埋める作業が盛り上がる。特にわたしは新規オブ新規だから、舞台のこともホンのことも役者のこともほとんど知らないからなお想像できる空白が多くて、期間中ずっと脳みそが動いている感じだった。

これは自分語りですけど、例えばジャニヲタの私が関西Jr.の現場に行くとき、わたしの資料室には15年分の松竹座の記録と思い出が積み重なってるわけよね。もちろん人間なので忘れていることの方が多くて思い出せないこともたくさんあるけど、記憶は故意には消せないから、そうするともうまっさらには一生なれない。私が関西ジュニアのファンをやめたってそれは消えない。仮に毎年新作の舞台が上演されて新しい人に降りまくったとしても積み上がってる記憶と記録をさらに積み上げていくだけの作業なんだよね。それが嫌だとかじゃなくて、どうしたって「知ってる」から余白は生まれない。「思い出す」ことはあっても何かを「想像する」っていう作業にはならないし想像したとしても蓄積されてる情報が加味されてしまう。それが髑髏城では、知らないことは全て空白になる。埋めるだけ。

さらに自分語りするとわたし耳から入ってくる文字に極端に弱くて説明とかセリフとか聞き取った情報を脳で咀嚼して処理するのにすこぶる時間がかかるタイプなので(ドラマとかも説明台詞入ると一時停止して考えてからじゃないとついていけない)、45回目まであらすじ理解しないまま舞台見てること多いし(どうもカズキヨアレルギーです)、基本好きなタレントの外見もしくはダンス等のパフォーマンスがよければそれで満足するおたくなので、舞台を見ても感想戦するほど内容のことを考えたり役の背景に思考巡らせたことがなかった。そういう舞台の楽しみ方を知らなかった。文字と言葉に弱い代わりに目から入ってきた情報には強いし音楽は本能的に処理できるのでセリフは覚えられないけどセリフの言い回しは音で覚えてる、だから変化はわかる、みたいなおたくなのでジャニヲタするには不足なく生きてきたんだけど。

 

描かれてるものを理解するのにも時間がかかるのに描かれてない背景を余白で想像するなんて作業はわたしには難しくて、13月の意味などわからなくても派手でたのしいくらいの偏差値の低さでおたくしていたいから、そういう観点から言うと髑髏城は音を消しても視覚で大筋掴めるという点でとても自分に合っていた。通っていくうちに耳が慣れてどんどん空白が生まれていって埋めるのが楽しくなって後半加速した感じ。

特に上弦はやっぱり、内容よくわかんなくても綺麗な顔面が並んでて絵面が派手でしっちゃかめっちゃか毎日変化していくのがジャニワに近いものがあったし、福士蒼汰という役者がおもしろくて、まじで一種のアサガオっていうか、観劇するたびに観察日記を記録してる気分になるのはジュニア担のきもちに近いような気がした。下弦は作品として楽しめたし物語をちゃんと考察するタイプのおたくにもなれたけどきりちゃん拗らせてきりちゃん定点するようになってから2000倍楽しくなったのでやっぱ私双眼鏡地蔵のジャニヲタなんだなと思ったりした。

だいぶ話ズレたなこの項目なんの話だっけ。もういいや。

 

 

3、画作りが写真的で映像的だった

想像する隙間という意味での空白はあるのに視覚的な空白がなかったのがすごいなと思って。

それはつまり場面が途切れないというところにあると思うんだけど、厳密にいうと暗転もするし幕も閉じるわけだけどステアラでいう場面転換はイコール回転の時間なわけで、回転しながら360度映像に囲まれるから休めないし、場合によっては演者がステージ歩きながら一緒に回ってくれるし幕も閉じずにそのままシーンが変わっていく。セットは動かない、動くのは私たち。なんかうっかり慣れちゃったけど衝撃的だよね。約4時間の舞台で、話が途切れるのが1幕2幕の幕間だけって、CMのない映画見てるのと一緒。

 

映画っぽいのは画の作り方もそうで、「てめえがザコだと思ってる連中の力、見せてやろうじゃねえか!」のあと、ティッティッティッティ~って音楽なってる間キメ顔で静止してるあれ、ちゃんとカット割できるように時間割いてたからLVでもひとりひとりちゃんと寄りでかっこいい顔が抜かれて、全員の寄りが終わってから出発したんだよね。映像用に作った秒数かと思うくらい綺麗にハマっててLV見たとき鳥肌たった。

あと冒頭の「~三途の川に捨之介だ」って見得切った捨之介の背景に『髑髏城の七人』てドーーーーーン!てタイトル幕がガッサー!出るのも映画的だし何より写真的だった。ポスターでしょあんなの。渋谷の巨大広告でしょ。蘭兵衛さんが黄泉の笛ふきながら駆け下りてくる画も全てが計算きっちりハマりすぎてて写真映えしすぎてたし、何より最後髑髏城抜け出して7人横並びで後光に照らされるあのクライマックスのシルエット画の強さ尋常じゃない。物理的に勝ちすぎる。普通あそこで終わるわ

そういうのがちょこちょこ散りばめられててこんなの興奮する以外ないでしょ!ってなったしそういうカットごとにめちゃくちゃ昂ったから飽きずに観てられたところあると思う。うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおって。血が。それが私はすごく観やすかった。

 

 

4、新規ハイ

なんかそれっぽいこまけーことつらつら4500字くらい書いたけど結局これ!8割これ!万国共通で新規はたのしい!新規イズ正義!知らないってたのしい!!ヒュー!!!

 

そういうわけでうっかり二桁豊洲に通うことになったあげくうっかり俳優拗らせて戻れなくなったおたくの話。

これから花鳥風とかワカとか見るだろうし修羅天魔も行くだろうし今後ジャニーズが新感線に殴り込んでくることも増えるだろうけど(よしたかおめでとう)、それでもずっと、私が愛した髑髏城は月髑髏だって言うと思う。上弦も下弦も全身ですきだった。たのしかった。ほんとに。

またどこかで。

 

 

タイトル詐欺に引っかかってここまで読んじゃったみなさんおつかれさま。聞いて驚けこの先なんと14000字あります。さすがに別記事。

うっかりここまできちゃったジャニヲタの皆さんここでさようなら。ごきげんよう

続く。

 

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