141文字目。

2階6列22番

ブレーキに足かけんじゃねえぞ

 

「今年はじっくり積み重ねていく年にしたいです」

今年の元旦、きみはそう言った。24歳、芸歴15年。ようやく自分の人生を落ち着いて見つめられる時間ができたんだと思った。

 

「自由だなって思いました」

初主演舞台の千秋楽。これがすべてだ。15年間のなにもかもの答えが、ここに詰まってると思った。

 

 

16歳だったあの年、きみは279公演ステージに立っていた。365日しかないのに、279公演。夢中だった。人生ではじめてあんなにだれかに夢中になった。ほかのことは何も見えなかった。気の休まらない目まぐるしい日々の中で、きみもずっと楽しそうに笑っていた。

だけどきみは今、あの年を覚えているだろうか。記憶がなくなるほど働いて、言われるがまま振りを覚えて、気付けば経験値だけを積み上げて、大人になった今、あの2012年をたのしかったと思い出せるだろうか。24歳の今、手のひらの中に何がどのくらい残っているのだろう。

デビューできなければ退所するしかないという時代は終わった。CDデビューをしなくてもジャニーズJr.のまま(もしくはJr.表記がとれたタレントとして)ジャニーズ事務所で生きていく道はある。ヒロムももういない。これからも新しい生き方はきっといくらでも出てくる。それでもきみの夢は、ジャニーズ事務所では叶わなかったのだろう。

 

きみは「売れたい」人なんだと思っていた。だから売れてほしいと思ったし、売れる(≒デビューする)ためにらぶを選ぶのは正しいと思った。物理的に兼任が続行できないほど途切れず仕事があって同年代の何倍も収入があって大手週刊誌に凸られるだけの人気もある。そこそこ豊かな人生を楽しんでると思ってた。でもそれしか知らないだけだったのかもしれない。借金返済でもしてんのかと囁かれるあの働き方では「売れることを目指す」以外に選択肢がなかったのかもしれない。じっくり積み重ねるどころか何をやりたいのか何をやってきたのか、立ち止まって振り返る時間もあの頃は皆無だった。

 

どこで誰とくくられてもずっと一番踊れる人だった。周りからの評価もそうだったし自負もあったと思う。アイドル業務はもちろん、トラヴィスの振付でも苦戦している様子は私の記憶にはない。もちろんできなかったバク転ができるようになったりバスケの技に何度も失敗したり、努力の人だと思っていたし表に出さなかっただけだろうけど、次から次へと雪崩れ込んでくる仕事をこなすだけで24時間が過ぎていってできない壁にぶち当たる時間すらなかったように思う。ジャニーズJr.ってファーストフードみたいなところがあって、早く覚えて量出せる奴が勝つる、みたいな。極論そこにクオリティは必要なくて、こだわりや疑問を持ち始めた奴から脱落していく。そういう意味では圧倒的に「勝てる」人だった。それをかっこいいと思っていたし、それしか勝ち方を知らなかったし、それがいずれきみの夢に繋がるんだと信じていた。

24歳になって初めての主演舞台。同世代の第一線で活躍するダンサーたちと踊る環境、出ずっぱりで対面し続ける芝居、まともにやったことのないアクション、衣装やグッズのデザイン、初めて何もかも「追いつけない」ことだった。今までずっと誰よりも踊れる自負があったのに周りは自分より極めている人ばかりで、めくってもめくってもインスタがメンヘラになるくらい悩んで、潰されて、ボコボコに挫折したのだと思う。「折れそうだった」と言っていた。あれだけステージに立ち続けてきた人生だったけど、ひとつの公演に時間をかけて向き合うことも、できないことをできるまでやる時間を与えられることも、今までの生活にはなかったのだろう。

 

楽しそうなきみの顔なんて腐るほど見てきた。だから仕事を楽しんでやってるんだと思ってた。でも思い返すと、高田とふざけてて楽しいとか半澤をいじってて楽しいとか拡輝が変なことしてて楽しいとか、10代のきみはそういう楽しい、ばっかりだった気がする。めちゃくちゃ露骨につまんなそうな時も帰りたそうな時も山ほどあったがw、それでも毎日でっかい口開けてキャハキャハ笑うきみを見ているのがすきだった。

ACTシアターの0番に立つきみは、楽しくて楽しくて仕方ないと全身が叫んでた。顔は全然笑ってないのに、口で何をどうごまかしても身体全部が見たことないほどたのしそうで嬉しそうで喜んでいた。青劇、帝劇、日生、クリエ、横アリ、城ホ、EX、NK、ドーム、あれだけずっと踊るきみを見てきたのに、見たことない筋肉を使って見たことない可動域で見たことない動きをして見たことないエネルギーを放ってた。私は「踊ることが楽しくてたまらないきみ」を初めて見たのかもしれない。同時に、もしかしたらきみも、この感覚をずっと味わえずにステージに立ち続けていたのかもしれない。留学した意味をようやく見出せた。3年経ってようやく、仕事を休んでまで強行したあの留学が役に立ったと思った。

 

そもそも本来「売れたい」人だったのだろうか。売れる、登りつめることばかりに気を取られていたけど(私が)、それはデカくて狭い世界の洗脳で、ほんとはただ表現することが好きで、縛られずに自分をアウトプット出来れば地位も権力もいらなくて場所も高さも手段もなんでもよかったのかもしれない。言われたことをただただ毎日こなす、そんなのはやりたいことじゃないと、気付く余裕も言える勇気もあの頃のきみにはきっとなかった。

 

私は何度努力してもどうしてもLovetuneを愛せなかった。居場所としてらぶが悪くないことはわかっていたし売れるために現状最適だともわかっていた。セクファミ(死語)を出たり入ったりしてそもそもらぶが出来た頃にはもう私の一番はきみじゃなかったし、愛せない理由を全部ベースのせいにしていたけど(私はベースに並々ならぬ呪いがあります)、本音は踊ってほしかったんだと思う。エゴを押し付けたくなくてベースが嫌いとかセクシーチャンプ(死語)がつまらんとか言い続けてきたけど、留学してまで極めたかったダンスを、一番やりたいはずのダンスを、活かせない場所になぜ行ってしまったのかと拗ねていたのだと思う。どこにいてもかっこいいなんて言えなかった。一番踊れる組織の中で一番踊れる人として踊っていてほしかった。JR.A以外に興味がないので別にトラジャに思い入れがあるわけでもないけど、兼任になった時「100:100でやる」「最後の一人になってもトラジャでいる」と言ってらぶの衣装の上にトラのジャケットを羽織って城ホの外周を回るほど意地になっていた人が、今更何に言いくるめられたんだろうと思っていた。踊らない選択をしたことをずっと誰かのせいにしたかった。

「好きなことを好きって言い続けてよかったと思います」に、救われたのは私かもしれない。好きでいてほしいと思っていたものを好きでいてくれた。踊りがメインじゃないグループを選び、事務所からも追い出され、ベースとして引き抜かれたはずの場所で、一番好きだったダンスで主演舞台に立っている。何かひとつでも違っていたらなんてよく言うけれど、本当に何ひとつこぼさず何もかもここに繋がってたんだと思った。この日のためにこの人はずっと踊ってきたんだ。

7人がどうやってまとめて出て行くことになったのか真相はきっと一生わからない。円満退社に見せかけたブラック解雇だったと私は未だに思ってるし超喧嘩して超反発してもういいよとストライキのようにドアバーン!して出て行ったような気もしてる。1幕の「俺は自由になる!」と言って屋上から飛び降りる演出、あれは本当にああいう状況で前世の巣を飛び出した当て書きだろうと思わざるを得なかった。7人をまとめて引き取ってくれた大人が100%善人とは思ってない。2.5次元俳優になりたかったわけでも舞台俳優になりたかったわけでも東映で鈴木拡樹と共演したかったわけでもローカルでぬるい低予算バラエティをやりたかったわけでもないと思う。ヒロムが亡くなった時に一文字も発信させないような何かしらの力が動いていることも確かだ。

でもその全部があって、何もかもが繋がって、本気のダンサーたちと本気で踊れるダンスの物語を作ってもらえるいまにいる。

 

私の中の踊るきみは3年前、8月17日のEXシアターで一度死んだ。泣きながら叫んだあの夏のガイズを私は一生忘れない。

踊りながら吠えるきみがすきだったけど、今のきみはもう、吠える息さえ残さない。そんな余裕ないくらい夢中で踊って必死に肩で息をして、ステージに水持ち込んでガバガバ飲んで。顕嵐と並んで踊ってももうそこに青劇は見えないし、踊りながら引きちぎるように乱暴にヘッドマイクを外す姿もない。全然知らない人だった。でも、笑うときに隣の人の顔を向いちゃう癖とか、爆笑するときに飛び跳ねてキャアキャアはしゃぐところとか、足元を見ずに階段降りられるところとか、ポールがあると全身預けて寄りかかって妙な体制になっちゃうところとか、全部見たことあるきみで、ずっと不思議だった。あからさまにすねたつまんなそうな顔も、キミだよ!キミだってば!ってうちわ指差してるのに気付いてもらえなくて地団駄踏んで怒る顔も、踊りながら吠える表情も、もしかしたらもう見れないのかもしれない。でも、自分の意志で生きている今のきみの方が私は好きだ。

 

 

2018年12月31日に書いた同じタイトルのブログ、結局1年経ってもあげられなかったけどこう書いてあった。

「欲を言えば次の人生でも踊っていてほしいけどそれはおたくのエゴだから。どんな形でもいいからやりたいことを楽しくやれる人生を選んで。ひとたらしで、どこに行っても愛されるきみは、どこでだって生きていける。バイバイまたね」

結局バイバイを言い損ねてしまったのにすっ飛ばしてまたねの未来までうっかり来てしまった。

今思うことも変わらない。自由に、じっくり積み重ねて、ゆっくり自分の好きなことを楽しめる人生であってほしい。何が好きで、何をやりたくて、何が楽しいのか、きみが屋上から飛び降りて手に入れた「自由」は、それを考えられる「権利」だ。

 

とは思いつつ、それでもやっぱりおたくのエゴで思ってしまうね、

『テッペン行けよ』