141文字目。

2階6列22番

巻き起こせ 勇気の火を絶やさず 運命切り開け

約束の、2019年春です。

 

 

ごめん、全部嘘だった。

待たないと言ったのも、戻ってこなくても大丈夫と言ったのも、全部自分を守るための綺麗事だった。例えばまとくんの振付助手にしてもらうとか、例えば屋良くんに見つかってゴリゴリ踊る舞台に出してもらうとか、例えば横倉Pに気に入られてユニにアクロ担当で加入させてもらうとか、踊れるし動けるしギャグもあるし頭もいい。なんだってできる。どこでだってやっていける。

そんな夢を見ながら、ただただきみを待つことだけをした1年半。

 

 

戻ってくる気はあったと思う。

少なくとも2月の段階で、(センター通過してたなら)国公立の試験直前だっただろう日程でアイランドのプロフィール撮影にわざわざ行っていた。復帰が確定してからでもいずれ別途撮れただろうに、みんなと一斉に撮って4月から戻る、つもりだったんだと思う。その時点でマネージャーからの全体メールを受信している状態だったはずなので、受験追い込み中もなにわの結成やAぇの結成をメールで知って焦ったりしたんだろうか、などと思ったりした。

 

 

 

きみは中学生の頃からずっと大学受験を見据えていた。

偏差値の高い進学校に通っていることも難関の大学を志望していることも中学生の段階で知っていたし、高校生になってからは国公立を目指してることも匂わせていた。

長くても高2の冬までだろうと思って応援することを決めた。

中学生の間は年齢のせいでもどかしいこと悔しいことが多かったしツアーに付くのが夢だとずっと言っていたから早く高校生になってほしかったけど、高校生になった4月、終わりが始まったと思ってちょっと泣いた。

 

上田陸上部のおかげでテレビにも出られたし女性誌とかイレギュラーな雑誌にもたくさん載れた。全国ツアーの夢は、WESTだけじゃなくエイトも叶えてくれた。その分松竹とin大阪を削られたけど、きみの夢はじゅうぶん叶ったと思う。

予想より少しだけ早い、高校2年生の秋にきみはいなくなった。

 

 

2018年春、福福が復帰してくるまで関西ジュニアに「受験休み」という概念はなかった。厳密にはあったのかもしれないけど戻ってきた人はいなかったし露出がなさすぎて受験休みをしてもほとんど気づかれなかった。大卒関ジュはけっこう多いので、人知れず休業してたのかもしれないけど。

一緒に回れるツアーは最初で最後だと思ったから惜しみなく全力を出せたしドームに立つきみを見るのはきっともうないと思ったから5大ドーム全部ついていった。手紙にはいつどんな時も今の話しか書かなかった。来月、来年、次回、たのしみにしてるねと書きたいときもあったけど、きみがごめんと思わないように、未来の話はしないと決めていた。最後は松竹座でみんなに泣いてもらってスパッと終わるもりだった。春夏冬と3連続で仲間を見送った年、離れたくないと服の裾を掴みながら泣いているステージのきみを見ながら、明日は我が身だと思っていた。卒業式して終われるものだと根拠のない自信があった。だから千秋楽は欠かさず全て入った。さよならを逃さないためだけに。悔いはない。やれることは全部やりきった。

 

 

 

2017年9月24日、陸上部の収録。補欠で応援だったけど呼ばれた。多分これが実質最後の仕事。

2017年11月15日、ベストヒットのエイトのバックに19人の関ジュが呼ばれた。いなかった。見つけられなかったのかと思って3回探したけどいなかった。「なんでいないの?」ってみんなが言ってくれてちょっと嬉しかった。いて然るべきだと思われる位置までこれた。この調子ならもしかして春までいてくれるんじゃないかと調子に乗ってぬるま湯につかってたところだったので顔面を殴られた気分だった。10月いっぱい、かな。

2017年12月10日、今江くん戸田くんとともにドッグファイトの観劇に現れた。籍は年内まで置いてるのかなーなんてぼんやりと思った。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ期待をした。

 

辞めたならまただれかを探して松竹座に行こう、と冬の間ぼんやりと探してみたりしたけどぼんやりしただけで終わった。今まで通り康二を見たりまさかどくんにときめいたり道枝顔面きれいだなと思ったり末澤くんのダンスすきだなと思ったり、持て余したDK担がみんなにしたくにハマってたのでにしたく見てみたり。弟組のクリパとあけおめには一応行ったけど虚しくて代わりを探すのをやめた。

 

 

半年経って2018年6月、福福晴で1ヶ月ラジオをやった。

な ん で だ

いやマジでお前どういうことだ。「難関受験を乗り越えた2人とまさに受験真っ只中の受験生!」みたいな頭いい勉強くくりで呼ばれた。しかも休んでますとかもうちょい休みますとか受験生だけど来ちゃいましたとかそういうのマジで一言もなくシレッッッッッと元ポジにおさまってシレッッッッッッッッと人生2回目のラジオパーソナリティしてた。

な ん で だ

自由か。呼んだ大人どうかしてるんか。休業の概念だれか説明しろ。

 

いなくなったら待たないと最初から決めていた。だけど6月25日、ラジオ最終週。

「なにがなんでも受かる、大学に。2年は消えさせへん。戻ってきますよ、絶対に」「戻ってから、ダンスを誰にも負けへんぐらいやりたい」

 

待てると思った。

 

きみは戻ると言った。2年は消えさせへん、と。17歳の少年の言葉が私の身体を駆け抜けた。

待つなら、だれも好きになりたくない。帰ってくるまで関西の現場には行かないと決めた。こんなに長く松竹座に行かないのは人生で初めてだった。意地だった。いないステージは見ない。いないあいだに他の人をすきになるのはずるい。帰ってきたときにまた戻るなんて調子いい。新しく穴埋めして楽しく過ごしてる人たちを蔑むことで自分を正当化した。待つと決めたら待つ。意地。

 

 

2018年10月4日。18歳のお誕生日。なにわ男子ができた。

2019年1月20日センター試験2日目。Lilかんさいができた。

2019年2月7日。春松竹のポスターが出た。もう大晴のとなりには戻れないかもしれないと思った。

2019年2月18日。Aぇ!groupが出来た。戻ったら大倉くんに頭下げて入れてもらうしか道はないと思った。数時間後、東京の舞台が発表された。あ、入れない。帰る場所がなくなった。戻ってきても居場所がない。この1年半で初めて泣いた。顔が変形するまでひとしきり泣き散らかした。

2019年3月1日18:00。ISLAND TVに新写真と新プロフィールが載った。笑顔が引きつりすぎて1年半のブランクでかいなと笑った。受験票の証明写真ちゃうぞ。結果はどうであれ、この時点で戻りたい意志表示は受け取った。まだ、国公立合格発表前。

顔を見たら一気に冬眠が冷めたので切れてたWESTのFC入り直して放置してた局も更新して半年以上溜めてたまいジャニを見始めた。開眼。3割くらいはまだ戻って来ない方の準備してたけど7割くらいは期待した。

 

年が明けてからの私は毎日神社に通うだけの機械と化していて、センター試験の土日と国公立の2/25は1日に5回お参りに行った。仕事しながら。取り憑かれてたと思う。2/25を迎える頃には神社への愛着すら湧いた。一日中センターの時間割見て今英語か~~とか言ってたし18年度卒業生146人中国公立現役合格45人という去年の先輩の合格実績をひたすら眺めてどうにかその45人くらいのなかに入ってくれと祈った。こわい。一揆ができない代わりに500円玉を投げまくった。神に対しても金で解決してもらおうとするおたく。大阪周辺のインフルは呪いでぶっ飛ばしたしすべての電車が止まらないように念を送ったしおなかがいたくならないように私が代わりにお腹痛くなったりした。ゆりゆりを見守ったずんこ先生と山ぴょんも言ってたけど本当に受験生を応援する大人は神頼みしかできない。きみが受かるなら裸でも逆立ちでもできると思った。誰かの成功をこんなに祈ったことはない。

 

 

この1年半のあいだに、関西ジュニアには新曲がたくさん出来た。18年組が入ってきた。なにわ男子が出来た。横山くんと大倉くんがプロデューサーになってくれた。数億年ぶりに梅芸公演ができた。クリパの焼き直しだったあけおめは新しい公演になった。テレビにたくさん出られるようになってリトかんが出来てAぇができて龍太が卒業して淳弥は就職して康二は東京でSnowManになった。

1年で人数が半分くらいになった年はあったけど、1年でこんなに前に進んだ年はない。もう、きみの知ってる関西ジュニアではない。なんで今いないの、よりによってなんでこの1年なの、あと1年生まれるのが早ければ、なんて出生に文句つける気分にも何度もなった。

ほんとは松竹座に行かないのもこわかったしほんとは梅芸も行きたかったしほんとはなにわ男子見たかったしほんとは新曲聴きたかったしほんとは横倉Pが作る関西ジュニアを見逃したくなかった。現場には行かないと決めたけどセンターを目前にしたら残り2ヶ月が怖くなってあけおめに行こうとしたこともあった(結局仕事で行けなかったので結果的に己との約束を達成してしまった)。よりによってこんなに大きく派手に揺れ動いた1年。きみが知らないことはわたしも知らなくていいと思ってたけど、私もたぶんもう、前みたいには追いつけない。

 

2019年4月1日16:00。ISLAND TVのわたしのたまごが消えた。0:00に淳弥のプロフィールが消えた時真っ先に見に行ったけど、なぜ16時間執行猶予があったのか。おかげで昼間ノリノリで令和大喜利しちゃったじゃないの。

 

またさよならが出来なかった。3回目。1回目と2回目は撤去される写真も消されるプロフィールもなくて何ヶ月も風の噂を信じたり疑ったりすることしかできなかった。時代が進み今回はすぐに消してもらえるプロフィールがあってすごくありがたかった。ISLAND社にも、撮影に行ってくれたきみにも感謝した。

卒業式の文化を嫌う人もいるけど、どうか、ちゃんと泣いて、仲間に泣いてもらって、おつかれさまと見送られてほしい。どうかさよならを逃さないでほしい。

 

 

 

正直ずっと50:50の気持ちだったのでそんなに喪に服してるわけじゃないけど、結局国公立に受かったのかそうじゃなかったのか現役で大学生になれたのかどうだったのか、何も知らない。何もわからないまま、

2019年春です。

 

石澤晴太郎くん。

ずっと目標にしていた大学生になれましたか?それとももう1年がんばることにしましたか?

きみはかしこい人だから、自分の人生にとって何が一番大切か、今なにを最優先すべきなのか、きみがたくさん考えて決めたことはきっとひとつも間違ってないよ。16歳だったのに、ちょっとお勉強している間に18歳。もう男として家族を持てる歳です。きみの人生はきみの自由だ。

延命のつもりできみを始めたけど、世界一かっこいい12歳のきみに出会えてほんとうにたのしかった。知らない場所たくさん連れてってくれてありがとう。銀河一かっこよかった12歳の夏と15歳の冬、ずっと忘れません。うそ、14歳の夏も捨てがたい。

私はもう待たないけど、いつか踊りたくなったらまた戻っておいで。受験終わったらなにしたい?って聞かれて「めちゃくちゃダンス習いに行く」と即答したきみだから、自宅の鏡張りの部屋じゃ物足りないでしょ。ていうか自宅の鏡張りの部屋持ち腐れすぎるわ。ていうか自宅の鏡張りの部屋ってなんだよ。このツッコミ50回はしたわ。

 

名前の通り、きみの人生が晴れ渡りますように。

 

 

導く 終わらないストーリー

今こそその胸に 無敵のパワーを

解き放て 秘めたその情熱で鐘を打ち鳴らせ